瓶底先生 9
オレには亡くなった両親の他にも親がいる。
生みの親と育ての親。
幼い頃に両親を事故で亡くし、暫く施設で過ごしたこともある。
引き取ってくれる親戚もいなかったから、生前両親が懇意にしてもらっていた猿飛家で育った。
血のつながらない兄弟もいる。
本当の家族じゃないのに、みんな優しくて、大切にしてくれた。
育ての親が保育士だったこともあって、オレは自然と保育士を目指した。
それを相談すると専門学校にも通わせてくれた上に、学費も全て出してくれて。
家を出る際には保証人にもなってくれた。
不自由なく育ててくれて、心から感謝してる。
今では育ての親が経営する保育園で世話になっているのだから、感謝してもしきれない。
だけど。
やっぱり自分は一般的な育ち方とは違う。
オレの生い立ちを知ると、誰もが同情的な目をするし、面と向かって「可哀想」と言われたこともある。
他人から見れば気の毒な人生なのかもしれないけれど、オレは十分幸せだ。
仕事も友人も、自分の家だってある。
血はつながっていないけど家族がいて、何時でも暖かく迎え入れてくれる場所があって。
そりゃ生きてたら辛いこともあるけれど、オレは毎日幸せに過ごしている。
死んだ両親が心配しないように、しっかり生きていかなきゃ、と思ってる。
オレは恐る恐る瓶底を見た。
声が普段と余りにも違ったから、怒らせてしまったのかとビクビクしながら。
想像していたような不機嫌な表情ではなかったけれど、そこに何時もの笑顔は無かった。
「オレが綱手先生と会ったのはね・・・。」
話したくないことを無理に話さなくていい、そう言って止めたけど、瓶底は口を閉じなかった。
「イルカ先生が嫌じゃなかったら聞いて下さい。」
オレは何も言えずに黙り込んだ。
別に嫌な訳じゃない。
でも、その話をして瓶底が辛くならないか心配だっただけ。
沈黙を可と取ったのか、瓶底が話し始めた。
「オレの両親はイルカ先生と同じで事故で亡くなったんです。この傷はその時残った物です。」
左目を跨ぐ傷を指差しながらそう言った。
オレは何も言えなくて、黙って話を聞いた。
瓶底の過去。
辛い過去の話。
「両親が死んでからは親戚の家に預けられてたんですけど・・・歓迎されてなくって。」
苦笑いを浮かべながら続ける。
「子供が一人でも増えるのは大変なことですからね。その家には実の子も居たし、厄介者だったと思います。」
実際にそう言われたこともあったと言った。
そんなことを言われてしまったら子供ながらに気を遣う。
瓶底はその家でずっと気を遣って生きて来たんだろう。
「そこでね、この目が気持ち悪いって言われてたんですよ。学校でもそれで苛められて。イルカ先生はキレイだって言ってくれたけど・・・。」
目の色が変わったのも事故が切っ掛けだったそうだ。
事故で親を亡くした子供に向かって何てことを、とオレは無性にハラが立って、
「気持ち悪くなんかない。本当にキレイです!」
声を大きくしてハッキリと言った。
自信を持って欲しくて、言い聞かせるように何度もキレイなんだと言った。
瓶底はほんの少し笑ったけど、何だか悲しそうに見えて、オレは胸が痛んだ。
服はお下がりばかりで、食事は与えられてはいたが、親戚家族とは別別に取らされていた。
小遣いなんて当然貰えるはずも無く、欲しい物も買えなくて。
何もかもを必要最低限にしか与えられなかった。
涙が出そうだった。
オレの生活と余りにも違い過ぎて。
余りにも孤独で。
当たり前のようにあった家族の団欒を突然奪われ、気持ち悪いなんて言葉を投げ掛けられ・・・。
親の愛情を沢山与えられていいはずの幼い頃に、そんな経験をしてしまった瓶底が気の毒で仕方なかった。
「暴力・・・とかは無かったんですか?」
オレはさっきから懸念していたことを訊ねた。
虐待を受けていたとしか思えないそんな環境で、肉体的な暴力はなかったのか心配になって。
「・・・暴力、と言うか・・・。」
瓶底は否定せずに曖昧な返事をした。
暫く黙った後、
「ほんの少し。偶に、殴られることは・・・。」
言葉を濁しながら肯定した。
オレはカッと頭に血が昇って、思わず口調が強くなってしまう。
「少しとか偶にとかそういう問題じゃ・・・子供相手にっ!」
堪え切れずに涙が出てしまう。
一度出てしまった涙は止まらなくなって、次次に流れた。
オレが泣くことじゃない。
オレに泣く資格なんてないのに。
分かっているのに止められなかった。
瓶底がティッシュでオレの涙を拭う。
「イルカ先生大丈夫?」
心配そうにオレの様子を伺う瓶底が悲しくて。
辛いのはオレじゃないのに。
自分の方が辛いはずなのに。
それなのにオレのことばかりを気遣う。
オレはぐっと歯を食いしばって涙を堪えた。
「ごめん。大丈夫。」
心配そうな表情でこちらを伺いながら、瓶底は話を続けた。
「高校までは一応通わせてくれたんですよ。ほとんどバイト漬けの毎日だったから、ギリギリ卒業だけは出来たって感じなんですけどね。」
そう言って少し笑う。
「三年間バイトして家にもお金入れて、卒業と同時に少しの貯金と一緒にその家は出たんです。」
当てもなく家を出て、住み込みで働いたりして、なんとか生活して来たらしい。
大変だっただろう。
一人ぼっちで辛かっただろう。
オレには想像もつかない。
誰も頼れる人がいなくて、自分だけが頼りで。
遊んでいる余裕なんて無かったはずだ。
その頃のオレは専門学校に通わせてもらって、彼女も友達もいて、楽しい毎日を過ごしていた。
何だか申し訳なくなって俯いた。
また泣いてしまいそうになる。
「何年か住み込みとか日雇いとか、色んなとこで働いてたんですけど、転転としてる内にちょっと辛くなってきちゃって・・・。」
そこで少し言葉が止まった。
その頃を思い出しているんだろうか。
表情が固い。
「ある夜歩道橋の上でボーっとしてたんです。凄く長い時間。下を通る車をずっと見てて。」
視線を遠くに置いて続ける。
瓶底は此処じゃない何処かをじっと見詰めて。
そのまま何処かへ行ってしまうんじゃないかと思うくらい、遠い目をしていた。
「何でそんなトコに何時間も?」
もしかして・・・。
「んー何でそんなトコに居たかもよく覚えてないんですけど・・・色色考え込んじゃって動けなかったんですよね。」
瓶底は少し笑ったけれど、それは余りにも寂しそうな笑顔だったから。
消えてしまいそうな悲しげな笑顔だったから。
死のうとしてたんじゃないのかと思った。
けれどそんなこと聞けるはずもなくて。
オレは何も言えずに瓶底の言葉を待った。
「そこで綱手先生に声を掛けられたです。『こんなトコで飛び降りたら他人に迷惑掛かるから止めときな』って。」
それが綱手先生と瓶底の出会いだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久々の瓶底〜うーん暗い。
まだ次も暗いの続きまーす。
ご覧頂きありがとうございました〜!
'08/6/9 葉月