瓶底先生 10
「オレ、別にそんなつもりは無かったんですけど・・・いや、無意識にそう望んでたのかな?」
―あの頃はこんな人生早く終わればいいのにって思ってたから。
その言葉が耳に届いて、胸がズキズキと痛み出した。
俯いて目を閉じたら溢れ出た涙が次次頬を伝って落ちる。
辛くて、苦しくて、どうにも涙が止まらない。
自分のことじゃないけど、悲しくて仕方なくて。
瓶底は何も言わずにオレの涙を拭ってくれる。
オレは、今まで生きて来て、一度たりともそんなことを考えたことはない。
両親を失ったけれど、それからも幸せは沢山あって、愛情も沢山もらって。
同じような境遇なのにオレとは正反対の人生で。
本当に瓶底が可哀想で、気の毒で、不憫で。
泣いたらまた困らせるって分かってるのに、どうやっても止められない。
オレは泣きながら何度も謝った。
「ごめん。ごめんな・・・オレが泣くことじゃないのに。」
同情されて泣かれて、瓶底が気を悪くしていないか心配だったけれど。
「オレの為に泣いてくれてありがとう。」
瓶底はそんなことを言いながら涙を拭いてくれるから、オレは益益泣けてしまった。
辛い思いをしてきたはずなのに、どうしてこんなに優しく出来るんだろう。
瓶底は、人を思い遣れる優しい人間で。
頼りないしよく泣くし、挙動不審なトコもあったりするけど、それでも可愛くて良いヤツで。
もっともっと幸せになっていいはずなのに。
「オレね、気持ち悪いって言われたから目は必ず隠すようにして、マスクは赤面症だから。これだけ隠したら怪しいけど見えないでしょ?」
イルカ先生は外した方が良いって言ってくれるけど、これだけはダメなんです。そう言って目を指差した。
「オレ、ちょっと人、というか大人と接するのが怖いんです。大人は本音と建前とかあって何思ってるか分からないし。」
瓶底が眼鏡には拘っていたのが良く分かった。
大人には挙動不審な理由も。
家を出た後も目と傷のことで色色苦労したんだろう。
もうオレは絶対に何も言うまいと決めた。
「ごめん。今までしつこく言って。もう絶対言わない。」
謝ると、瓶底は笑って何でもないとでも言うように首を横に振った。
「話が逸れましたね・・・それから綱手先生が色色面倒を見てくれたんです。事情を話したら『暫く家に来な!』って引っ張られて。」
あの時の綱手先生は強引だったなぁ、そう言って懐かしそうにふふ、と小さく笑った。
綱手先生らしいな、とオレもつられて少し笑う。
「それからはずっと綱手先生のお世話になりっぱなしで。もう頭が上がりません。」
拾われた夜から綱手先生の家で厄介になり、保育園にも何度か手伝いに来たことがあるらしい。
厄介になりっぱなしではいけない、とバイトを探している時も学童保育の仕事を紹介してもらったりと、何から何まで世話になったと言った。
その綱手先生との出会いが切っ掛けで、瓶底は保育士の勉強を始めた。
専門学校へ通いながら働いて、学費も全部自分で稼いで。
綱手先生は瓶底から最低限のお金しか受け取らなかったそうだ。
ほんの少しの光熱費だけで家に置いてくれたらしい。
「綱手先生には本当に助けてもらいました。素性の知れない赤の他人のオレなんかに良くしてくれて・・・オレの恩人なんです。」
綱手先生に恩を感じていることがよく分かる。
瓶底を拾ってくれたのが綱手先生で良かった。
オレと同じで幼い頃に両親を失った瓶底。
その後の環境は全く違うけれど、こうして偶然にもオレと知り合った。
以前綱手先生が言っていた「過去に色色」とはきっとこのことだ。
だからオレに預けた。
オレと似ているところがあるから。
けれど、オレよりもっともっと辛い思いをして、沢山苦労をして保育士になった男。
瓶底はもっと幸せにならなければいけないと思う。
幼い瓶底をおいて先に逝ってしまった両親の為にも、瓶底は幸せに生きて行かなければいけないと思うから。
「もし、また・・・辛くなったらオレが居るから。オレだけじゃなくて綱手先生とか沢山。・・・だから苦しい時には絶対頼って下さい。」
一人で抱え込まないで欲しい。一人で悩まないで。
瓶底のことを大切に思って、心配してくれる人は沢山居るってことを知って欲しかった。
オレは涙を拭いながら震える声で言った。
「ありがとうイルカ先生。本当にありがとうございます。泣いてくれてありがとう。」
瓶底は泣くかと思ったけど、最後まで泣くことはなかった。
ただ瞳に優しさと、少しの寂しさを浮かべて小さく微笑むだけ。
オレの背中をずっと撫でながら涙を拭いてくれる。
「イルカ先生そんなに泣いたら明日目が腫れちゃいますよ。」
「いいんだよ!お前が泣かないから今日はオレが泣くのっ!」
ヤケクソ気味にそう言うと、瓶底はちょっと苦笑してオレの背中を撫でる手に力を込めた。
「イルカ先生は優しいですね。ありがとうございます。」
それからメソメソしてる間、ずっと瓶底は傍でオレを慰めた。
二人の間に言葉はもう何も無く、オレのすすり泣く声と、オレの背を撫でる小さな音だけが耳に届く。
オレはアルコールの入った体で大泣きした上に、背中には瓶底の暖かい手があって。
傍の体温が心地良くて、瞼がゆっくりと重くなっていった。
寝ちゃダメだ。もっと話をしたいのに。明日じゃなくて、今したいのに。
そう思うけれど、段段と重みを増す瞼を持ち上げることが出来ない。
背中を優しく撫でられる手が気持ち良くて。
傍にある体温が心地良くて。
睡魔に抗えなくて、オレは瓶底に凭れ掛かったまま眠ってしまった。
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瓶底の過去話これで終わり!
9月発売の「者の書」では年齢差4つですが、ここでは1歳差の設定ですので〜。
ご覧頂きありがとうございました〜!
'08/9/29 葉月