瓶底先生 4
翌朝、通勤途中で瓶底と出くわした。
相変わらず瓶底眼鏡にマスク装着で怪しい風体だ。
「イルカ先生。おはようございます。」
あれ。いつもの硬さが少しマシ、かな?
昨日のお蔭かも。
少し嬉しくなってご機嫌で返事をする。
早速次の約束を取り付けようと口を開こうとしたら、瓶底に先を越された。
「そうだ。昨日タオル持って帰ってしまって・・・すみませんでした。洗濯してお返ししますので。」
少し待ってて下さいね、と言った。
あー良いなぁ・・・コイツ。良いヤツだ。うん。
昨夜タオルを渡したままだと気付いたけど、ハンドタオル一枚を返せって言うのもケチくさいよなぁ、なんて考えてたところだった。
高い物じゃないしまぁいいか、って思ってたらこれだ。
気遣いが嬉しくて、オレは更に上機嫌になった。
「いいですよ〜わざわざ洗濯してもらう程高い物じゃないし。雑巾にでもしてやって下さい。」
それより、と続ける。
「カカシ先生、次いつ予定空いてますか?昨日言ってたオレの奢り!」
ニカっと笑い掛けると、瓶底は照れたように俯きながら言った。
「そんな・・・奢ってもらうなんて悪いですから・・・。」
「まぁまぁ、遠慮なさらず!お詫びですから。奢らせて下さいよ!ね?」
それでも瓶底は遠慮するので、
「過ぎた遠慮は可愛くないですよ〜?」
軽い調子で言うと、瓶底は少し困った顔をした。
でも、笑って頷いたので、本当は嬉しいんじゃないの〜なんて思った。
そんなやり取りがあって、次の週末の仕事帰り。
瓶底と再びテーブルを挟んで向かい合った。
前の様な失態も無く、穏やかに時間が過ぎる。
瓶底はやっぱり緊張の消えない面持ちだったが、自分から話題を振ることもあったので、進歩したなぁと嬉しく思う。
腹も八分目を上回り、そろそろお開きかという頃、コンタクトがゴロゴロする、と瓶底が眼鏡を外して瞼に触れた。
やっぱめちゃめちゃ整ってるよな、とチラリと視線を流すと、左目を跨ぐ傷に目が留まる。
その傷跡を見て、知りたくなった。
「・・・あの、こんなこと聞いて良いものかあれなんですけど。あ、答えたくなかったら答えなくて良いんですけど・・・。」
酔いも手伝って、あんまり深く後先を考えずに口にしてしまった。
「その目の傷、どうしたんですか?」
瓶底が視線を上げる。
オレと目を合わせるその表情は複雑で、やらかした・・・!と即座に思ったが、覆水盆に返らず。
一度口に出した言葉を戻す術は無い。
やってしまった・・・。
「えっと、オレのはね、子供の頃に交通事故で両親を亡くしたんですけど、その時にオレだけ助かって、これ残っちゃったんですよ〜。」
傷を撫でながら出来るだけ軽く聞こえる様に言った。
あーまた失敗した、余計なこと聞いてすまん、このまま聞き流してくれ、と心で焦りながら。
前と同じ失敗を繰り返す馬鹿な自分が嫌になる。
折角楽しく飲んでたのに蒸し返してどうする・・・。
慌てて別の話題を探していると、すごい勢いで身を乗り出した瓶底が、両手でオレの手をガシっと握り込んだ。
「オレも・・・!イルカ先生、オレも同じ!」
瓶底は頬を紅潮させ、目をうるうるさせながら興奮気味だ。
ま、また泣くのかー!?
目尻に涙を浮かべる瓶底を見て再び焦った。
「もう出ましょう!」と慌てて腰を上げながら伝票を掴んで、周りの視線が集まっているのに気付く。
瓶底が大きく立ち上がった所為か、男同士で手を握り合った所為か、オレ達二人はえらい注目を浴びていた。
・・・もうこの店には来れん。
居た堪れなくなって、駆け足で店を後にした。
急いで店を出たものだから、瓶底の手首を鷲掴みにしたまま暫く歩いていた。
「あ、すいません。」
それに気付いて手を離すと、今度は瓶底がオレの手首を掴んで歩き出す。
瓶底は矢鱈とご機嫌で、「そっかぁ」と何度も口にしながら、ブンブンと掴んだ手を振りながら歩いた。
スキップでも始めそうな勢いだ。
何が「そっか」なんだろう・・・。
不思議に思ったけど、酔っ払いの言うことだし深い意味は無いだろ、とオレも負けじと掴まれた手に力を込める。
何だか楽しくなって、二人でゲラゲラ笑って、つながった手を大きく振って歩いた。
そうして、酔っ払い特有のテンションのまま、瓶底のチャリンコの元へ辿り着く。
「自転車で大丈夫ですか?帰れます?」
「はい!全然平気です!」
満面の笑顔をこちらに向ける。
その笑顔を見て、不意に思い付いた。
「次からは家で飲みましょうか。」
うん、我ながらいい提案だ。
その方が安く済むし。泣かれても家の中だと安心だし。
前回の店ではえらく泣かれて行き辛いし、今回の店も妙な注目を集めてしまって、恥ずかしいからもう行けない。というか行きたくない。
「どうしたんですか突然・・・。」
いや、アンタが所構わずよく泣くからだろ!
危うく口に出そうになったけど、何とか堪えて尤もらしい理由を上げた。
「ほら、家のが気楽だし安く済むし、外では話し辛いことも話せるでしょ!」
そう言うと、瓶底は頬を染めながらはにかんで、本当に嬉しそうに笑った。
「お疲れ様でした!」
瓶底を見送って、一人徒歩で帰路につく。
酔いを覚まそうとゆっくり歩いて考えた。
今日は最後また泣かせるかって危なかったけど、中中楽しい酒が飲めたよなぁ。
別れ際の瓶底は笑顔だったし。
アイツは男前だから泣き顔も様になるけど、やっぱり笑顔のが可愛くて良い。
男相手に「可愛い」なんて考えてる自分が笑えたけど、男でも可愛いもんは可愛い!そう開き直った。
そこまで考えて、店を出た時のことを思い出した。
慌てて出て来たから有耶無耶になってしまったけど、瓶底は左目を跨ぐ傷のことを「オレも」と言っていた。
「瓶底も両親亡くしてるのかな・・・。」
綱手先生が言っていた「過去に色々」とはこのことなんだろうか。
でも、綱手先生はもっと意味深な言い方をしていた様な・・・。
ぐるぐる考えていると、何時の間にやら自宅の前だった。
その日はそれ以上考えずに、とっとと風呂に入って寝た。
これから時間はたっぷりあるんだ。
いつか聞ける機会があるかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うおー久々の瓶底です!
毎日寒いですねっ(>_<)
ご覧頂きありがとうございました〜!
'06/1/23 葉月