瓶底先生 17
翌朝は幸せな気分で目覚めた。
普段より大分早い時間だ。
至福の瞬間ってのはこういう気分を言うんだろうか、ってくらいに満ち足りた幸せな気分だった。
まだ夢現で、隣に瓶底がいると思いながら寝返りを打った時の落胆っぷりは驚く程。
だんだん意識がはっきりして、オレは現実を知った。
胸がポッカリ空いたような気分になって落ち込み、それに追い討ちを掛けるように自分の状態に気付く。
下半身に違和感があった。
恐る恐る覗き見たら、頭をガツンと殴られたようなショックを覚えた。
「うっ、わあぁぁぁっ!」
飛び起きて風呂場へ駆け込む。
寝巻きのまま熱いシャワーを頭から浴び、謝罪を口にし続けた。
「・・・ごめんっ!ごめん・・・ごめんなさいっ!」
今まで生きて来て、この時程自分を嫌だと思ったことはない。
瓶底とセックスする夢を見て目覚め、オレは夢精していた。
下着の中はドロドロ。
急いで裸になり、下着を洗う。
下着を洗いながら何とも言えない気分になった。
自分が酷く汚い人間に思えて、消えてしまいたいくらい恥ずかしくて、泣きそうだった。
あんなにキレイで可愛い人間の瓶底を、いやらしい夢で汚した挙句に夢精までしてしまうなんて。
瓶底に申し訳ない気持ちしかなくて、只管謝り続けた。
「ごめん瓶底・・・オレ何であんな夢・・・?瓶底を抱い・・・っわぁ!ごめん!ごめんっ!」
夢を思い出しそうになって、慌ててシャワーを頭から浴びた。
ついでに体も頭も洗ってキレイにしたけど、胸の中まではキレイに出来なかった。
特に下着を洗う時は最悪で、気分はどん底まで落ちて泣きそうだった。
何だか惨めだった。
情けない・・・。
オレは何て汚いんだろう。
どうにか気持ちを落ち着けて風呂から上がったら、出勤時間はとっくに過ぎていた。
焦って準備をしながら遅刻すると連絡をした。
「何やってんだよっ!オレは・・・!」
いい大人なのに。
バカな自分にハラが立つ。
外は寒くて、熱の上がった頭を少し冷やしてくれた。
風呂上りで暖かかった体も一気に冷える。
園に着く頃にはすっかり冷え切っていた。
「寝坊しました。すみませんっ!」
「何やってんのよ〜!」
「どうせ夜更かししたんでしょ?」
紅先生とアンコ先生にお小言を貰ってる最中、くしゃみを連発したらマスクを着けさせられた。
「風邪ひいたんじゃないの?」
「気を付けなさいよ。大丈夫?」
優しい言葉にジーンとしてると、
「「うつさないでよね!」」
二人揃って厳しいオマケを付けてきた。
うぅ・・・ちょっと感動してたのに・・・。
今日は仕方ない。
遅刻したオレが悪いんだから甘んじて受け入れよう。
それからは大人しくしてたら逆に心配されて、昼休憩の時に突っ込まれた。
「今日は妙に大人しくない?どうしたのよ。具合悪くなってきた?」
「いや、体は全然元気ですよ。今日は遅刻したから大人しくしてるんです。オレ、今日なら何でもしますよ!」
冗談っぽく返したら二人に笑われた。
「あら、殊勝じゃない。」
「でも・・・ちょっと顔赤くない?」
アンコ先生がオレの額に触れて熱を確かめる。
「熱は・・・ないかしら?」
「一応測ってみなさい。」
体温計を渡されて測ってみたけど、微熱程度だった。
「平熱どのくらいだっけ?」
「5.8℃くらいです。」
「ん〜ちょっと高めね。辛くなったら言いなさいよ。早く帰っていいから。」
遅刻したのに早退なんて出来ない。
でも、そう言ったら怒られそうだから黙っておいた。
昼からも忙しく走り回っていたら時間はあっと言う間に過ぎた。
体調も悪くない。
空いた時間に頭を過ぎるあのことさえなければ。
今日は昨夜の夢のことを思い出さないようにするのに四苦八苦した。
ふと手が空いた時にうっかり思い出してしまうから、それを打ち消すのに苦労した。
思い出したらきっと考え込んでしまうから、思い出さないように努力した。
幸い今日はまだ瓶底には会っていない。遠目にちらっと見た程度。
会ったら一発で思い出すだろうし、どんな顔して話せばいいのか・・・。
まだ心構えが出来ていない。
気持ちを落ち着かせるのにもう少し時間が要る。
けれど、そう上手い具合にはいかなかった。
あと一時間もすれば勤務終了って時にバッタリ瓶底と出くわした。
「あ、イルカ先生!体調悪いんですって?大丈夫ですか?」
オレと会って、少し心配そうな、でも嬉しそうな笑顔を浮かべる。
あぁ、可愛いなぁ。コイツの笑顔は凄く可愛くて、和む。
ボーっと眺めてたら夢を思い出してしまった。
ヤバイ。顔赤くなるなっ!
マスクをしてるから多少は隠れるはず。
内心の動揺を隠す為に、無駄に元気に返事をした。
「う、ん・・・。大丈夫!熱も微熱程度だしあと一時間もすりゃ仕事終わるし!」
明るく笑って見せたけど、瓶底は心配そうな表情を崩さない。
「ほんとに・・・?顔赤い気がするけど・・・。」
そう言ってオレの額に触れた。
瞬間、熱が上がったのが分かる。
顔もきっと真っ赤だろう。
動揺するな・・・オレ!
「うわ!イルカ先生絶対熱ありますよ!おでこ凄く熱いです!」
「だ、大丈夫!大丈夫!仕事終わったら直ぐ帰って寝るから!」
慌てて離れようとしたけど、瓶底が離してくれなかった。
心臓がバクバク痛いくらいに音を立てる。
瓶底に触られた所為で顔が熱い。
瓶底が体温計を取りに行って、半ば強引に測らされたら8℃を超えていた。
「あ、あれ・・・?」
「きっと風邪ですね。明日は出勤でしたよね?」
「あ、うん。明日は半日・・・。」
「じゃぁ紅先生かアンコ先生に代わってもらいましょう。明日はお休みして下さい。」
「ちょ、何勝手に決めてんだよ!オレは大丈夫だって。熱もこんなに上がってたのか、ってくらいで・・・。」
「何言ってるんですか?無理して出て来て子供にうつったらどうするんですか!」
少しキツイ口調で言われて、オレは何も返す言葉が無かった。
情けない。
いい大人なのに遅刻はするし体調管理は出来ないし・・・。
瓶底にも怒られて、泣きそうになった。
それから勤務終了時間まで耐えて、瓶底と一緒に園を後にした。
明日のことは全て瓶底が手配してくれて、帰りも送ると一緒に出てくれた。
コイツってこんなに頼りになるヤツだったっけ・・・?
「さっきはキツく言ってしまってすみません・・・。」
「あぁ、それはオレが悪かったから・・・気にしないで下さいよ。」
瓶底は気まずいみたいで、道道黙りこくったままだった。
二言三言喋ったくらいで、二人共黙黙と歩いた。
家まで送ってもらい、瓶底は買い物の為に再び外に出た。
オレは布団の中に直行させられた。
熱を見るまでは何ともなかったのに、自覚した途端に具合が悪くなってきた気がする。
オレって単純。
横になりながら何もすることがないので、熱でボーっとする頭で色色考えることになった。
今日一日考えることを避けてきた昨夜の夢のこと。
さっきの頼りになる瓶底のこと。
少し厳しい口調の瓶底のこと。
瓶底のことばかり考えていた。
そうすると自然と熱は上がるし、鼓動も速くなる。
それはストンと胸に落ちて来た。
「そっか・・・オレ・・・好きなのか。」
自覚した。
いや、きっと少し前から気付いてはいた。
けれど考えないようにして逃げていた。
やっと、認められた。
オレは瓶底のことが好きになってる。
友情じゃなくて愛情って意味で。
「そうか・・・だから苦しかったのか。」
もう誤魔化せない。逃げられない。
瓶底に触れられてドキドキした。
瓶底の隣で笑うハナちゃんに嫉妬した。
嫉妬はハナちゃんに向けられた物だったんだ。
独占欲を抱いたのも。
瓶底の隣はオレの席だと思っていたから、オレじゃない人間と並んで笑っている姿なんて見たくなかった。
認めたくない自分の気持ちと向き合うことになった。
ドロドロして、暗い、嫌な自分と。
瓶底が自分だけの物であって欲しいという願い。
ハナちゃんに渡したくないって気持ち。
同じ男だけど、瓶底を守りたい、瓶底の全てを手に入れたいって思ってる。
オレにだけ笑い掛けて欲しい。
ずっとオレの傍に居て欲しい。
一時的に抱いた子供じみた独占欲なのだと思っていたのに、それは大間違いだった。
認めた途端、瓶底への気持ちが次から次に溢れ出る。
気付かない内にこんなに瓶底を想っていた自分に驚く。
何時の間にこんなに好きになっていたんだろう。
苦しくて泣けてきた。
認めてはみたものの、この先に希望のない想いが辛くて。
「オレって即物的だなぁ・・・。」
自嘲気味に呟いた。
頭では気付いてなくても、心は気付いていて、だからあんな夢を見た。
瓶底を全部自分の物にする夢。
それはきっと現実になることはない。
体も辛くて心も辛くて、益益泣けてきたところに瓶底が戻ってきたから、オレは慌てて寝た振りをした。
涙に気付かれないようにと祈りながら。
瓶底は一度様子を見に来た後、キッチンへ移動した。
薬とご飯を買いに行くと言っていたから、今から何か作ってくれる気なんだろう。
優しい瓶底。
意外と頼りになる瓶底。
ダメなところも一杯あるけど、それも含めて全部好きだと思った。
やっぱり涙は止まらなくて、瓶底が声を掛けるまでずっと泣き続けた。
瓶底が遠慮がちに声を掛けてきたのはそれから暫く経ってから。
食事が出来たと声を掛けに来て、オレの状態を見た瓶底は心底驚いたようで、アワアワして赤くなった。
そんなところも可愛く思える。
「ど、どうしたんですか!?何で泣いて・・・オ、オレがさっきあんなこと言ったから?」
どこまでお人好しなんだコイツは。
「違う違う!・・・ちょっとしんどくて・・・ごめん。大丈夫だから。」
そう言うと少しホッとしたようで、タオルで涙を拭ってくれた。
そのタオルが以前貰ったタオルで、オレとお揃いのヤツだった。
それを見たらまた泣けてきて涙は止まらなかったけど、瓶底は何も言わなかった。
「ご飯、食べれそうですか?」
「うん、ごめんな・・・迷惑掛けて。」
瓶底はオレの背中を擦りながら慰めてくれた。
「大丈夫ですよ。体弱ってる時は気も弱くなるもんですから。」
優しい言葉を掛けられて、優しく体を擦られて、嬉しいけれど苦しい。
どうにか涙を止めて、瓶底が作ってくれた雑炊を食べた。
瓶底はずっと傍にいてくれて、オレをじっと見てる。
傍にいてくれて嬉しいけれど、辛い。
オレは涙を堪えるのに必死だった。
人を好きになるって、こんなに苦しかったっけな・・・。
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2010年一発目〜。
何かもーじれったくてじれったくてすんません。
でももうちょいで終わりますから!
今年こそ絶対に瓶底終わらせるぜっ(>_<)
ご覧頂きありがとうございました〜!
'10/1/9 葉月