瓶底先生 14
季節は漸く秋へと向かい、最近では朝晩と随分冷え込むようになってきた。
冬も近そうだ。
その日もカカシピアノ教室に来ていた。
今までと同じで、土日で都合の良い方を練習の日にして。
今回は日曜になった。
ピアノの練習をして、一緒にご飯を食べる。
何も変わらない日になるはずだった。
今までと同じ、楽しい練習の時間。
それが終わって、一緒に飯の支度をする。
「あ、あとはオレがやりますよ。イルカ先生は料理運んでおいてもらえますか?」
そう言われたから、仕上げは瓶底に任せて、オレは料理をテーブルへ運び始めた。
箸を並べて、お茶を入れて。
テレビの電源を入れようと近付いた時、それに気付いた。
テレビ台の端に置かれている手の平サイズの紙。
カラフルな色が目に入り、何気なく手に取って見てみると、そこには瓶底が写っていた。
写真かと思ったけど、それはシールだった。
ゲームセンターとかに置いてある、機械で写真を撮ってシールが作れるプリクラというヤツだ。
瓶底の隣には女の子が居て、手書きの文字で「ハナ」「カカシ」と書かれている。
何パターンかの写真があって、どれにも二人が仲良さそうに写っていた。
瓶底もハナちゃんも全部笑顔で楽しそうだ。
ハナちゃんはとても可愛らしい女の子だった。
きっとハナちゃんに誘われて撮ったんだろうな〜、って自然と笑みが浮かんだ。
後でからかってやろうと思いながら元の場所に戻そうとした時、ふと違和感を覚えた。
瓶底はマスクを外すようになった。
けれど、眼鏡は絶対に外そうとしない。
オレと二人の時はコンタクトで過ごすことが多いけれど、保育園や外出先で眼鏡を外したところは見たことが無い。
手の中のプリクラでも、瓶底眼鏡は装着している。
けれど、何パターンかある写真の一枚。
その一枚だけ妙だった。
普段の瓶底眼鏡とは違う・・・。
心臓が変な音を立てた。
その一枚だけ、瓶底は眼鏡を外して写真を撮っていた。
写真の上から手書きで眼鏡のラクガキをされている。
そのことに気付いてドキっとした。
ハナちゃんの前では眼鏡を外せるのか・・・。
ハナちゃんには眼鏡を外した顔を見せたことがあるんだ。
何を思い上がっていたのだろう。
瓶底が眼鏡を外すのはオレの前だけだと思い込んでいた。
オレの前でだけ眼鏡を外した素顔でいられるのだと思い込んでいた。
ハナちゃんは見たことがあるんだ。
瓶底の瞳も、左目の傷も。
オレだけではなかった。
オレにだけ素顔を見せられるのではなかった。
瓶底にはハナちゃんという大切な友達がいる。
いや、今はもう友達じゃないのかもしれない。
恋人なのかもしれない。
オレよりもっと大切な存在なのかもしれない。
ただオレが知らされていないだけで・・・。
瓶底にはオレしかいないなんて、それは大きな勘違いだったのだ。
オレだけが瓶底の素顔を知っている。
オレにだけ辛い過去の話をしてくれた。
他の人は知らない瓶底をオレだけが知っている。
オレは瓶底にとって特別な人間。
そんな優越感にも似た感情を無意識に持っていた。
それがガラガラと音を立てて崩れていく。
色んな感情が胸の中で暴れる。
それは悲しみのようであり、怒りにも似ている、妬みとも思えるような感情。
そんな感情が渦巻いて、頭にカーっと血が集まる。
恥ずかしい。
思い上がっていた自分が恥ずかしかった。
「イルカ先生〜出来ましたよ!」
そんな時に瓶底の弾んだ声が届いて、軽くパニックを起こしてしまう。
ほんの数十秒の出来事だったのに、随分長い時間に感じた。
慌ててシールを元の場所に戻してキッチンへ向かい、顔だけ覗かせて手早く言った。
「ごめん。オレ帰らなきゃいけなくなった。友達が相談あるから今から会えないかって・・・メールが届いてて・・・。」
咄嗟に出た嘘にしては真実味があったように思える。
「彼女と喧嘩したみたいで、話し聞いて欲しいって落ち込んでるみたいで・・・。」
嘘を吐いている罪悪感が込み上げてきて、尤もらしいことを次次と付け加える。
真っ直ぐ見れなかった。
瓶底がどんな表情をしていたのか分からない。
オレは逃げた。
何故だか今は瓶底に向かって笑える気がしなくて。
逃げるように帰った。
家に辿り着いたオレは自己嫌悪でいっぱいだった。
瓶底からオレを気遣ったメールが届いていて、更にそれは大きくなる。
まるで疑うことなんてなく、オレの言葉を信用しきってる瓶底。
そんなアイツを騙して自分勝手なことをした自分が嫌で嫌で。
風呂に入って少し気持ちを落ち着けようとしたけれど、動揺は治まらなかった。
何故こんなに動揺しているのか分からない。
瓶底の幸せを願っていたはずなのに。
幸せになって欲しいと思っていた。
ハナちゃんと上手くいくといいと思っていた。
それなのに。
仲の良さそうな二人を見て、瓶底がオレ以外の人間に素顔を晒しているのを見て、子供じみた独占欲を抱いた。
そうだ。これはきっと独占欲。
「オレってこんなに小さい人間だったのか・・・。」
自分以外の人間の前で眼鏡を外しているのを見て、嫉妬した。
オレ以外の人間に素顔を見せて欲しくなかった、というのが本音なのだろう。
心の何処かにそんな感情を持っていたのだろう。
幸せを願いながら、いざそれを目の当たりにすると嫉妬して。
考えても考えても、混乱するばかりで自分の気持ちが分からない。
考えれば考えるほど、自分が嫌になってしまう。
オレは何て小さな人間なんだろう。
答えは出ない上に罪悪感でいっぱいになり、オレはビールを一本飲み干して、布団の中で丸くなった。
吐いた息が酒臭くて、気分は更に沈んだ。
目を閉じてもう一つ溜息を吐いた。
明日は瓶底の目を見て話せるだろうか。
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や〜っと終わりが見えてきた感じ。
時間かかってんなぁ・・・。
ご覧頂きありがとうございました〜!
'09/11/9 葉月