『蜘蛛糸のロマンス』 (後)
オレが病院に着くと、診療を終えたイルカ先生が丁度出て来たところだった。
涙を流しながら立ち竦むオレを見て、イルカ先生は察してくれたようで、
「家で話しましょうか。」
そう言って、オレの手を引いた。
そうして、イルカ先生の家で向かい合う。
「・・・何の病気なの?何で別れるの?・・・イルカ先生、死ぬの?」
そう口にすると、イルカ先生の家に着くまでにやっとで治まった涙がまたぶり返した。
「死にはしませんよ。全く・・・大袈裟ですねぇ。」
イルカ先生が差し出したタオルを受け取る。
「でも・・・完治しないって・・・。」
「血液の病でね。多分一生薬は手放せないし、多分一生付き合わないといけないんです。」
今直ぐ死ぬとかいうものではありませんよ、と優しく言う。
「じゃぁ、何で別れるの・・・?」
「ある日治るかもしれないし、一生治らないかもしれない。きっと、忍として任務をこなすことも難しくなるでしょう。」
無理は出来なくなるし、アナタの負担にはなりたくないから。
だから別れるのだと言う。
「そんなの・・・!オレが一生面倒見るから。オレは、別れたくない!」
納得出来なくて声を荒げると、イルカ先生は深く溜息を吐いた。
「これで納得してもらえませんか・・・。」
暫くどちらも口を開かず、沈黙が続いた。
「・・・オレが告白して、あと少しで一年になりますね。」
イルカ先生がポツリと話し始める。
「最初はそばに置いてもらえるだけで幸せだったんです。・・・でも、人間って欲深いものですね。」
それは今までに聞いたことのないくらい弱弱しい声で。
「オレは・・・。本当に、本当に、アナタが好きなんです・・・。男相手に自分でもどうかと思うくらい。」
「オレ、だって・・・。」
イルカ先生は目を伏せて首を横に振った。
「オレはアナタの全てが欲しい。・・・・・・でも、アナタの心は何時まで経っても・・・あまりにも遠い。」
距離が縮まない。そう言われて、ギクリとした。
「そのうちオレのものになってくれたら・・・と思ってたんです。・・・でも、もう・・・。」
声を震わせながらそう言って、イルカ先生は項垂れた。
「・・・すみません。・・・今回のことはただの切っ掛けなんです。ずっと考えていたことなんです。」
ポツリと落ちた水滴が服に染みを作る。
イルカ先生は、泣いていた。
「アナタとつながっている糸は細すぎて・・・。オレから始めた関係なのに・・・。ごめんなさい。もう、辛い・・・っ。」
「イ、ルカせん」
「触るな・・・!」
思わず手を伸ばすと、体に触れる直前に拒否された。
心臓がズキリと音を立てて痛む。
もう、泣いているイルカ先生を抱き締めることさえも・・・許されないのか。
「逢いたいと思うのはオレばっかりで!次の約束もいつもオレから!アナタから『逢いたい』と言われたことは一度も・・・!」
堰を切った様にまくし立てる。
イルカ先生はしゃくり上げて、両手で顔を覆ってしまった。
―気付かれていた。
イルカ先生は距離に気付いていて、それでも尚、オレを望んでくれていたのか。
こんなに溜め込むまで耐えて・・・。
思い返せば、イルカ先生の笑顔しか浮かばない。初めて見た涙を流す姿。
オレは不安に気付くこともなく、イルカ先生の気持ちの上で胡坐をかいていた。
何て傲慢な。自己本位な。
イルカ先生の気持ちなど考えてもいなかった。
逃げ続けていた自分が情け無い。
オレは弱い。オレはバカだ。
「イルカ先生・・・!」
強引に抱き締めた。
「やめっ、放して下さい!」
「イルカ先生!」
体を強張らせるイルカ先生を、より力を込めて抱き締める。
「嫌だ・・・!もう、優しく・・・しないで・・・。」
「お願い。このまま聞いて・・・。」
落ち着いてもらおうと、背中を何度も撫でながら話した。
「ごめんなさい、イルカ先生。オレは怖かったんです・・・。アナタを好きだけれど、失った時を考えると怖くて・・・距離を置いてた。」
「・・・アンタはオレを好きなんかじゃない。」
そう言うイルカ先生を、もう一度強く抱き締める。
「最後まで聞いて・・・。オレはもう大切な人を作りたくなかったんです。ずっとそうして来た。ずっと逃げてた・・・。でも・・・。」
信じてくれるだろうか。今更かもしれない、虫の良すぎるオレの想いを。
「何時の間にかイルカ先生は何よりも大切な人になってた。アナタが好き。愛してる。・・・失いたくない。」
「・・・・・・。」
「だから、もう一度だけチャンスを頂戴?もう一度オレを信じて?」
返事は無い。
少し体を離して顔を見ると、イルカ先生は声無く涙を流していた。
「お願い。もう一度、オレのそばに来て・・・。」
そう言うと、イルカ先生はオレの肩に顔を埋め、声を上げて泣いた。
「・・・本当に?本当に信じて良いんですか?」
「うん。」
「・・・心もくれるんですか?」
「はい。心も、体も、魂も、全部あげる。」
「カカシ、先生・・・。」
顔を上げたイルカ先生の瞳から、次から次へ涙が落ちる。
それを拭おうと手を近付けたが、イルカ先生に触れるのが躊躇われた。
「・・・触れても、良いですか?」
遠慮がちにそう訊ねると、イルカ先生は無言でオレの指先へキスを落とした。
その仕草がとてもキレイで、扇情的で。オレは唇で涙を掬った。
どちらともなく唇を合わせる。
「抱いて、下さい・・・。」
聞き逃してしまいそうな小さな声で、イルカ先生が言った。
愛しくて愛しくて、骨が軋んでしまいそうなくらい、力を込めて抱き締めた。
暫くそうして動かずにいると、
「・・・あの、そうじゃなくて・・・。」
顔を真っ赤にしながら、イルカ先生が深いキスを仕掛けてきた。
「・・・いいの?イルカ先生そういうことあんまり好きじゃないでしょ?無理しなくていいよ。」
オレとつながる時、イルカ先生は何時まで経っても慣れなくて、何時も体を強張らせて緊張していた。
全然楽しめている風ではなかったし、てっきり好きではないのだとばかり。
「アナタはいつも『慣れないね』って笑うけれど・・・。」
困ったように頬を染め、笑って言った。
「抱かれる時は幸せすぎて、嬉しくて・・・。未だに夢みたいで緊張するんですよ。」
イルカ先生があんまり可愛いことを言うので、その夜はずっと体をつなげていた。
離れた心を近づけたくて、何度も何度も体をつないだ。
それから。
何十年という時間をイルカ先生と過ごし、共に白髪の生え揃うまでとなった。
「必ずオレが迎えに来ますから・・・。良い子で残りの人生を楽しんで下さいね。」
オレの頬に触れながらそう遺し、イルカ先生は旅立った。
幸せそうに、満足気に、口元には笑みを浮かべて。
病と一生付き合って、それは優しいものではなかったはずなのに。
最期まで笑顔だったイルカ先生。
「イルカ先生・・・お疲れ様。ゆっくり休んで・・・。」
やっぱり涙は流れるし、悲しみは想像以上だけれど。
もう足許は崩れない。
だって、イルカ先生とは強くつながっているから。きっと直ぐに逢えるから。
あの時、一度は千切れようとした蜘蛛の糸の様に細い絆。
それは幾年にも及ぶイルカ先生との生活で、太く強い絆となった。
だから、きっと。確かな約束は無いけれど。
この次に待つ世でも、アナタの隣にいるのはオレのはずだから・・・。
それはまるで、蜘蛛糸のロマンス。
おわり
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題名に拝借した「蜘蛛糸のロマンス」って曲は糸千切れちゃうし、切ない感じなんですよね〜。
こんな最期がいいなぁ、と夢見ながら妄想v
暗くてすんません・・・(^-^;
最後までご覧頂き、ありがとうございました〜!
'07/1/15 葉月