瓶底先生 22

 

 

 

 

 

翌朝、先に目覚めたのはオレだった。

昨日の大雨が嘘のように静かな朝で、カーテン越しにも朝日が感じられる。

時刻は7時前。隣の瓶底はまだ眠ったままだ。

幸せそうな寝顔をしている。

薄く開かれた口は緩く弓を描き、微笑んでいるように見える。

もっと寝かせてやりたかったけど、瓶底は昼まで仕事のはず。

遠慮がちに声を掛けた。

「瓶底・・・朝だぞ。今日仕事だったろ?」

肩を揺すりながら声を掛けると、瓶底がうっすら目を開けた。

オレと目が合うと、静かに微笑んでオレを引き寄せた。

「うわ、わ・・・。」

頭を優しく抱かれ、胸元へ導かれる。

胸からは規則正しい鼓動と、頭の上からは静かな寝息が届く。

オレは予想外の瓶底の行動にドギマギしてしまって、暫く固まってしまった。

体温とか吐息とかを間近で感じて、正直「キュン」とかってときめいてしまってたり・・・。

うわぁ・・・オレ、どうしちゃったんだ。

こんなにドキドキして、こんなに体温上げちゃって。

胸がぎゅうぎゅう締め付けられて、好きだって気持ちが止め処なく溢れてくる。

痛いくらいの感情なんだけど、それがまた幸せだって思ったり。

もうじっとしていられなくて走り出したいくらいの幸せな気分だ。

傍にある瓶底の温もりが嬉しくて、ぎゅーっと抱き締め返す。

ほんの少しの間、そうして幸せに浸っていた。

そろそろ本気で起こそうと体を起こして瓶底の顔を覗き込み、締まりの無い顔で寝こけている瓶底の頭を撫で回して声を掛ける。

「起きろー朝だぞー!」

寝顔可愛いなぁ、コイツ。

頭を撫でたり顔を撫でたり、時時ほっぺを軽く抓ってみたり。

額とか瞼とかにチュってしてみたり。

暫くしてやっと起きた瓶底は、これでもかってくらい目を大きく見開いた。

「おはよう。目ぇ覚めたか?」 

眼球だけ動かしてキョロキョロ周りを見る。

まだ寝ぼけてんな・・・。

「おーい、起きろー!ここはオレん家。お前今日仕事だろ?一回家帰って荷物・・・。」

オレが言い終わる前に、瓶底はガバっと勢い良く起き上がる。

手の平で頬を覆ったかと思うと、ほっぺやら腕やら抓り始めた。

「夢・・・じゃない・・・。」

ボソっと呟いて、やっとオレのことを見る。

「イルカ先生・・・。」

呼ばれて返事をする。

「イルカ先生・・・本当に?夢じゃないんだ・・・本物だ・・・。」

体温を確かめるようにオレの手を握る。

「うん。ここに居るぞ。」

ニカっと笑いかけた途端に目を潤ませたので、よしよしと頭を撫でてやる。

「夢じゃないぞ。オレはここに居るから。」

「うん・・・。」

泣き笑いの顔が可愛くて、頭を抱き締めた。

瓶底の不安を取り除いてやりたくて、いっぱい抱き締めた。

オレの胸の中でグズグズ鼻を鳴らす瓶底が愛しい。

オレにしがみ付いて泣くコイツが可愛い。

「ごめんな・・・今まで辛かったよな・・・。もう絶対あんな思いさせないから・・・だから、オレのこと許して欲しい。またオレと仲良くして欲しい。」

抱き締める腕に力を込めてそう言ったら、瓶底は肩を震わせて更に盛大に泣いた。

嗚咽が耳に届く。

「イルカ先生・・・に、避けられて・・・死にたいくらい寂しかった。す、ごく・・・辛かったけど・・・。」

嗚咽の合間に震える声で呟く。

「・・・でも、イルカ先生もしんどかったでしょ?」

瓶底が涙の浮かぶ瞳でオレを見た。オレの勘違いじゃないよね?と心配そうな声で問われて、涙が出そうになる。

確かに辛い時期もあった。

けど、オレなんかより瓶底の方がもっと辛かったはず・・・それなのにオレを責めもせずに心配なんかして。

もっと怒ってもいいのに。酷いと詰ってもいいのに。

瓶底は本当にいいヤツなんだ。優しい人なんだ。

「オレは・・・大丈夫。オレが悪かったんだから。・・・もう傷付けないから・・・ほんとにごめんな。」

瓶底は頭を緩く振りながら言った。

「そんなに謝らないで。オレももう大丈夫。イルカ先生が好きって言ってくれたから、凄く幸せなんです。」

まだ涙の浮かぶ瞳でじっとオレを見詰め、優しく笑った。

「イルカ先生、大好きです。」

改まってそんなことを言われ、顔に熱が集まる。

あまりの照れ臭さに思わず笑ってしまいそうになったけど、瓶底は真剣そのものだ。

オレもそれに応えねば。

「オレもカカシ先生のこと・・・だ、大好きですっ!」

小っ恥ずかしくて最後は下を向いて一気に言ってしまった。

うわー恥ずかしい!照れる!・・・けど、凄く嬉しい。

それからまた抱き締め合って、キスをした。

瓶底は幸せそうに笑ってくれた。

幸せだな〜なんて甘い空気に浸っていたけど、ふと目に入った時計に大いに焦った。

「ヤバっ!遅刻するぞ!もう家に戻る時間はないから・・・。」

焦って立ち上がったオレの服を縋るように引っ張る瓶底が今日は休みたいと言い出したから、

「サボるなんて社会人としてありえねぇ。体調不良でもないのに。きっちり働いて来い!」

と説教してやった。事前に申請してるならともかく、当日急に休んだりしたら迷惑を掛けるじゃないか。

瓶底はしゅんと項垂れたけど、終わったら真っ直ぐ帰って来るように言うとパッと表情を輝かせた。

あーもーっ!可愛いなぁ。感情ダダ漏れじゃねぇか。

「ほら!これとこれ着てけ!ジャージは・・・。」

「ロッカーに予備入ってます。」

オレの服を貸してやって準備をして、慌しく送り出した。

玄関先で「いってきますのキスしていい?」なんて言われ、二人揃ってモジモジしちゃったり。

一人になって冷静になると赤面するようなことばっかりだ。

シーツやら布団やらを片付けながら、昨夜を思い出して居た堪れなくなったりもした。

気恥ずかしいけど、それ以上に凄く嬉しくて、凄く幸せで。

「早く帰ってこーい。」

そんな独り言がポロっと出ちゃったり、頬が緩むのを止められなかった。

洗濯したり昼ご飯の準備をしたりしてると、あっという間に時間が過ぎた。

チャイムが鳴って玄関を開けると、えらい大荷物でぜーぜーと荒い息遣いの瓶底が立ってた。

「ただっ・・・いま・・・、イルカ先生・・・。」

オレに抱き付きながら途切れ途切れに言うから、

「おかえり。何でそんなに息切れしてんだよ・・・大丈夫?」

抱き留めて背中を擦ってやる。

「お泊りセット取りに猛ダッシュで家帰ったから・・・。」

瓶底の心臓がバクバク言って、100メートルを全力で走り切ったみたいになっちゃってる。

瓶底の胸を押す鼓動がオレの胸にまで伝わる。

「イルカ先生と離れたくなくて・・・め、迷惑かもしれないけど暫く泊めて?・・・お願い。」

遠慮がちな声に胸が締め付けられる。

オレだって同じ気持ちだ。

不安がって信じきれてない瓶底の気持ちを安定させるにはどうしたらいいか。

いっぱい傍に居て同じ時間を過ごして、オレの気持ちも瓶底と一緒だってことを分かってもらおうと思ってた。

それ以上に、オレも瓶底の傍に居たかった。

カカシ先生が好きだから。

好きな人と同じ時間をいっぱい共有したいって思う。

オレがそう伝えると、瓶底は息切れで苦しそうにしながらも、やっと笑顔を見せてくれた。

それからまた抱き締められた。

瓶底の鼓動はまだ速い。

「あとさ、そんなにオレに遠慮するなよ?今の状況が信じられなくて不安に思ってること分かってる。」

背中を擦ってやりながら少し話した。

「ゆっくりでいいからさ、オレのこと信じてって欲しい。その為に出来ることなら何でもするから、遠慮なく言ってくれ!」

「・・・イルカ先生カッコ良すぎです。大好き。」

抱き合ってるから顔は見えないけど、瓶底が笑ったのが分かった。

オレの頭にキスして、瓶底がゆっくりと離れる。

その時に見えた表情は随分穏やかなものだった。

「あの、朝はバタバタしちゃって聞けなかったんだけど・・・体、大丈夫ですか?」

「・・・?大丈夫だけど。体?何で?」

「その・・・昨日の・・・受身側は負担が・・・。」

そこまで言われて、昨夜の影響を心配してくれてるのだと分かった。

思い出してしまって顔が熱くなる。

「あ、えっと、うん・・・ちょっとダルいけど・・・平気。」

嘘を吐いた。

実はちょっと所ではない。

腰は痛いしケツはもっと痛いし、普段しない動きをしたもんだから、色んなトコが少少筋肉痛だ。

朝に瓶底を送り出した時もかなり辛かった。

でも、そんなことを言ったら瓶底が必要以上に心配することは分かってるから、ほんの少し嘘を吐いたんだ。

瓶底に心配掛けたくないって気持ちからだから、この嘘は許してもらおう。

「だったら後でマッサージでもしてあげる。ごめんね、辛くして・・・。」

「いいんだよ。幸せな痛みなんだから、さ・・・。あ、そうだ!スパゲティ茹でてあるから一緒に食おう!」

うわー!オレ今えらいくさいこと言っちゃったな・・・恥ずかしー!

体がぽっぽ火照っちゃって暑い。

それから、一緒にスパゲティを食べて、一緒に昼寝をした。

昨夜瓶底は殆ど寝ていなかったらしく、ハラが膨れた途端にあっけなく沈没。

寝なかったのはオレが原因だと言うから、添い寝して普段子供にするみたいにトントンしてやった。

寝てしまって起きたらオレが居ないんじゃないか、って明け方近くまでずっとオレを見てたらしい。

不安で不安で仕方なかったんだろう。

だから、今度はゆっくり眠れるように、オレの体温を感じられるように、傍に居た。

瓶底の寝息につられてオレも眠くなって来ちゃったから、ぴったりくっついて目を閉じた。

オレも瓶底もお互いの背中に腕を回してくっついて、幸せな昼寝をした。

 

 

 

 

 

「良い天気だなぁ。」

カーテンを開けて空を見ると、晴天が広がっていた。

今日は瓶底と映画に行く。

公開前から瓶底が観たいと言っていた前売りを買ってあるのだ。

まぁ、所謂デートというヤツである。

絶好のデート日和だというのに、肝心のその相手がまだ寝てる。

春から環境が色色変わって、オレと瓶底は一緒に住むことになり、職場は一緒ではなくなった。

暫くの居候の後、仕事以外の時間は殆ど瓶底と過ごした。

瓶底は仕事が終わると必ずオレの家に来たし、それが当たり前みたいになって、半同居状態だった。

オレの家の方が保育園に近いから、ご飯を食べるのもオレの家。

瓶底が家に帰るのは荷物を取りに行く時くらいで。

そんな日日が続いて、これはもう一緒に住んでしまった方が良いと思った。

毎日仕事もあるのに、こんな生活じゃ落ち着かないだろう。

遅かれ早かれそうなるだろうと思ったから、善は急げとオレから同居話を持ち出したのだ。

同居が決まってからは、このまま一緒の職場に居てもいいのかと思うようになった。

職場でも家でもずっと一緒。

当人はそれで良くても、周りはどうだろうかと。

オレと瓶底は男同士で、世間的には異質な二人だろう。

それを嫌う保護者や職員もあって当然だと思う。

同じ職場で隠し切れるかどうか。

隠し切れずに公になった場合、園に迷惑が掛かるのではないか。

オレが園を辞めようかと考えていたけど瓶底がそれを許さず、自分が辞表を出すと言い出した。

「オレは入ってたった一年だし、担任も持っていないし。」

そう言って聞かなかった。

綱手先生に辞表を出した時、瓶底は全てを話してしまったそうだ。

悪い理由ではない、自分の大事な物を守りたいから、だから辞めるのだと。

お世話になっている綱手先生に理由を聞かれ心配され、嘘は吐けなかったと謝られた。

酷く驚いていたそうだが、さすがは綱手先生。男前だ。

「守りたいと思える程大事な物が出来て良かったじゃないか。強くなったね、カカシ。」

そう言って自分のことのように喜んでくれた上に、姉妹園への異動を提案してくれた。

オレの育ての親である猿飛先生が園長をしている火の国園への異動だ。

来年度から保育士が一人減るらしく、募集している所だったらしい。

新しい人員は木の葉に来てもらうようにするからどうだと言われ、瓶底はその話をありがたく受け入れた。

綱手先生には一生頭が上がらないと言っていた。

オレも同じだ。大恩を受けてしまった。

「イルカならあの子を変えられるかもと思ったけど・・・まさかこういう結果になるとはねぇ。」

後日、綱手先生に呼ばれて話す機会があった。

オレは瓶底とのことで何か言われるんだろうと思って、少し緊張していた。

「す、すみません。」

「私は責めてるんじゃないよ。まぁ何かと障害は多いだろうが、カカシに大切な人が出来たことは喜ばしいと思ってる。」

「・・・はい。」

「もう知っているだろうが、あの子は今まで人並み以上に辛いことが多かった。これからはイルカが沢山幸せを与えてやってくれ。」

二人で幸せになるんだよ、そう励まして背中を押してくれて、涙が出そうだった。

自分が長年面倒を見ていた瓶底に同姓の恋人が出来るなんて、オレが責められても仕方ないと思っていた。

それなのに、全てを受け入れて力になってくれて。

オレはガバっと頭を下げて礼を言った。

「色色と力になって下さってありがとうございました!」

綱手先生の懐の深さに頭を上げられない。

「そんなに畏まるんじゃないよ。顔上げな。・・・ところで、カカシの素顔はどうだった?」

「は?」

「いや、カカシのヤツ私にも素顔見せないもんだからさ。・・・ったく、減るもんじゃあるまいし。」

オレは「綱手先生までもか・・・」と苦笑いを浮かべながら「悪くはなかったですよ」と答えておいた。

 

 

 

 

 

そんなこんなで春から心機一転、瓶底との同居生活が始まった。

最初の頃は遠慮し合ったりちょっとした揉め事もあったりしたけど、今ではすっかり慣れて楽しい同居生活を送っている。

今日はうれしはずかし久し振りのデートだ。

「カカシ先生、眼鏡忘れてる。」

玄関で靴を履いた後に気が付いた。

瓶底はカラコンを捨てた。

オレと居る時はかなり前から使っていなかったけど、最近は外出時でも普通のコンタクトを使っている。

理由は無駄に金が掛かるし面倒になった、ってことだったけど、良い傾向だなーと少し嬉しかった。

今日はコンタクトに伊達眼鏡を掛けるもんだと思ってたのに眼鏡がない。

「あ、忘れた。・・・うん、今日はこのままでいいです。イルカ先生が一緒だし・・・いいや。」

まさか自分からそんなことを言い出すなんて思ってなかったから驚いた。

瓶底は絶対に眼鏡を手放せないと思っていた。

知り合った頃は度の入ってないカラコン+度の強い瓶底眼鏡は標準装備だった。

仲良くなってからはオレの前では眼鏡だけで過ごしていたけど、外ではやっぱりカラコンは必須アイテムだったし。

とにかく左目を隠したがっていた。

最近では度入りのコンタクトと伊達眼鏡で外出もしてたけど、仕事中なんかはやっぱり瓶底眼鏡。

多分、これから先ずっと、眼鏡は手放せないんだろうなと思っていたのに。

驚いたけど嬉しかった。

ゆっくり、少しずつだけど、コイツは変わっていってる。

オレと一緒だから、ってのも凄く嬉しい。

オレを信頼してくれて、オレと一緒だから安心してくれてるってことだろ?

何かあってもオレと一緒なら大丈夫ってことだろ?

眼鏡なしで外出することは、きっと瓶底にとって凄く勇気がいることだと思う。

これはとても大きな一歩なんだと思う。

そんな時にオレを頼ってくれてるのが嬉しい。

オレは何も言わずに頭を撫でてやった。

えらいぞ。頑張れ。そんなことを思いながら。

瓶底は嬉しそうに微笑んだ。

「イルカ先生、よしよしのついでにチューもして?」

「は?」

「だから、お出掛け前のチュー。」

自分の唇を指差しながら瓶底が言う。

「何言ってんだ。そんなことしたらまた・・・。」

実はついこの間も同じようなことがあったのだ。

出掛ける直前にキスを強請られてそれに応えたばっかりに、そのままいちゃいちゃが始まって外出取り止めということが。

「ダメだって!」

キスをせがんで迫って来る瓶底をどうにか押し返す。

「誰の為に前売り買ったと思ってんだ。」

声のトーンを低くして軽く睨んでやると、瓶底はうっと怯んだ。

「今週逃したらもう上映終わっちまうぞ!」

「・・・イルカ先生のケチ。」

小声でそんな言葉を吐いて唇を尖らせるから、おでこに軽くチュっとしてやった。

「帰って来たらいっぱいしてやるって。いちゃいちゃもしような!」

笑い掛けて瓶底の手を取った。

ドアを開けながらこっちを振り返る瓶底の後ろから、太陽の光が入り込む。

「イルカ先生好きー。」

間延びした口調で笑顔を浮かべる。

光の所為だろうけど、瓶底の笑顔は何だかキラキラして見えて、少し眩しかった。

 

 

 

 

 

  おわり

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これにて瓶底終了であります。
長いことお付き合いありがとうございましたm(__)m
少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです♪
ご覧頂きありがとうございました〜!

'12/3/21 葉月

 

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